2016年3月21日
「ミュージカル テニスの王子様 青学vs.山吹」鑑賞報告3
2.5次元ミュージカル・ライブシアター

遅ればせながら、ぽぷすた4年生からのテニミュ鑑賞報告です。

「3rd ミュージカルテニスの王子様 青学vs山吹」を観劇した。
もともと、劇団四季を始めとした様々なミュージカルの観劇を趣味としている私だが、一昨年の7月に初めてテニミュを観てからというもの、2.5次元のミュージカルの沼にもずぶずぶと沈んでいる。

今回の「vs山吹」を観劇する直前にミュージカル「エリザベート」を観劇していた。「エリザベート」と言えば1992年にオーストリア・ウィーンでの初演以後12か国で上演、アン・デア・ウィーン劇場で6年のロングランを記録した非常に有名なミュージカルである。「エリザベート」と「テニミュ」における一番の差は「原作の有無」であろう。「エリザベート」はドイツの小説家であるミヒャエル・クンツェがミュージカルのために書き上げた作品である。それに対し「テニミュ」は、少年ジャンプに連載された許斐剛の漫画「テニスの王子様」を原作としている。
原作の有無がミュージカルそのものに与える差は大きい。そもそもの存在の仕方が違ってくると言っても過言ではないのだろうか。「エリザベート」のようなミュージカルは、言ってしまえば「完成された作品」である。造り込まれた舞台芸術、わかりやすく説明される登場人物。時代背景や人物の関係性、なにもかもがその作品を観るだけでわかるようになっている。私たちの「鑑賞者」という立場は揺るがない。

しかし「テニミュ」はそうではない。ミュージカルそのものとしては「未完成な作品」なのである。舞台に準備されるものはテニスコート、ただそれだけである。登場人物の紹介もほぼないと言っていい。そんな未完成な部分を補完する役割を担うのが私たち「観客」なのだ。私たちの予備知識、想像力、ときには掛け声。「ミュージカルそのもの」と「観客」が同時に存在してこそ「テニミュ」は完成される。私たちは「鑑賞者」であり「演者」でもあるのだ。

「テニミュ」の魅力は、「私たちがいてこそ成り立つ作品である」という、その不完全さにあるのだ。ひとつの空間を一緒に作り上げる喜びを私たちに与えてくれるものなのである。(4年 加藤優美)


須川亜紀子
須川亜紀子
Akiko Sugawa-Shimada
横浜国立大学 都市科学部/都市イノベーション研究院 教授
Professor, Department of Urban Sciences/ Institute of Urban Innovation Yokohama National University
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