高層ビルの合間に見えたもの
都市イノベーション学府 建築都市文化コース修士過程 1 年 丹羽梓
3年前に旅行でシンガポールを訪れた際は、街中がとても清潔で、高層ビルが立ち並ぶ近代的な都市という印象をもった。人々は、日本のビジネスマンと同じように、ビルの間を忙しそうに歩いていた。多くの駅にはショッピングモールが併設し、駅周辺には整備されたビル群が立ち並ぶ。日本の駅前にあるようなごみごみした商店街や、薄暗い裏通りが見当たらない。全く生活観の感じられない光景に違和感を感じて、郊外まで足を伸ばしてみたが、生活観あふれる路地裏どころか、スーパーマーケットさえ見つけることができなかった。
前回のシンガポール旅行の経験を踏まえて、私の今回のSVのテーマは、観光では知ることのできないシンガポールの裏の部分に触れることだった。
City Galleryを訪れた。ここは、シンガポールの街づくりの歴史を展示した施設である。シンガポールでは、国民の持ち家率を上げるために、1970年代から政府が計画的に団地を建設し、国民の給料の数パーセントを強制的に住宅購入用に貯金させ、結婚を機に住居を購入するという政策を行っている。この政策により、国民の80%が政府の建設した住居であるHDBに住んでいるという。国民の多くが家を購入しているが、低収入の人や独居老人などには空き部屋となっているHDBを低価格で賃貸住宅として貸し出すことも行っているそうだ。街にホームレスがいないのは、徹底した住環境の整備が理由だったのだ。東京都と同じくらいの国土であるシンガポールならではの政策だと感じた。
一方、国際化の進んだシンガポールでは、外国人労働者も多い。周辺アジア国から出稼ぎに来る外国人労働者の支援を行っているNPO団体で話を聞くと、外国人労働者は、シンガポール人とは全く異なる生活をしていることが分かった。中国、バングラディシュ、ミャンマーなどから来る外国人労働者は、ビルの建設現場作業員、清掃員、家政婦などの仕事に従事し、低賃金、長時間労働の過酷な労働環境の中働いていることが多い。彼らは安い賃金で生活をするために、大きな負担となる住居費を削り、電気も水もない廃墟ビルなどで生活をしているそうだ。住み込みで働く家政婦については、雇い主から友人と会うことを許されず、情報交換ができないようにされている場合もあり、人権侵害などの問題を表面化させることが難しいとのことだった。政府はシンガポール人の雇用促進の為に外国人労働者を減らす政策を取っているそうだが、シンガポール人が従事したがらない職に外国人労働者が従事していることを考えると、今の政策では、外国人労働者雇用の規制が厳しくなり、外国人労働者の不法労働が増えるばかりで、問題の解決は難しいように思えた。
周辺国からの外国人労働者にとって、衛生的な住環境を確保することが難しいシンガポール。このような過酷な環境での生活にも関わらず、仕事を求めてシンガポールにやってくる周辺国の外国人労働者は後を絶たないという。次から次へと供給される外国人労働者が労働環境を悪化させている一因でもあるという。
では、シンガポール人の労働環境はどうなのであろうか。シンガポール人の共働き率はとても高いそうだ。家事や育児は家政婦に任せて働く女性が多く、企業訪問した日系企業の鹿島建設では、日本の職場より女性社員率が高いとのことだった。また、多民族国家の為、それぞれの文化や宗教を尊重し合いながら働くことが前提となっている労働環境は、日本にはないものだと思った。シンガポール人にとっては、働きやすい労働環境が整っているように見えるが、それを支えているのが、家政婦などの外国人労働者である。きらびやかな超高層ビル群には、過酷な労働を強いられている外国人労働者の存在がある。そう思うと、シンガポールの立派なビル群も少しかすんで見えた。
滞在中、真偽は定かではないが、シンガポール人の10人に1人は日本に行ったことがあるという話を聞いた。シンガポール人にとって日本は人気の旅行先であるようだ。しかし、シンガポール国立博物館に行ってみると、第2次世界大戦中の日本軍によるシンガポール占領の歴史がかなりスペースを割いて紹介されている。郊外には、日本軍の占領の歴史だけを扱ったSHONAN GALLERYという施設も存在する。博物館などの施設だけを回っていると、シンガポールの日本に対する印象はあまり好意的ではないような気がした。しかし、シンガポールで、日本のマンガやアニメは人気があり、書店で売られていたり、テレビ放映もされたりしているそうだ。交流をしたシンガポール国立大学には、アニメサークルがあり、彼らの話によると、シンガポールにもコスプレイヤーがいるとのことだった。
マンガやアニメをはじめとする日本のポピュラー文化は、世界中に広がり、人気であることは周知の事実であるが、日本と同じように受容されているわけではないと思う。その国の文化や日本との関係、歴史などが大きく影響し、その国独自の受容のされ方をしているのだと思う。国家としての歴史が浅いシンガポールにおいて、日本のポピュラー文化は、これからどのように発展していくのであろうか。他のアジアの国と比較しながら考えると面白いのではないかと思った。
洗練されていて、無機質な印象だったシンガポール。今回のSVでは、人々の暮らしの一端に触れ、シンガポールの長所や問題点などを知ることができたことで、私のシンガポールに対する印象はガラリと変わった。常にどこかで新しいビルが建設され続けるシンガポールは、止まることなくどんどん進化していく。次に私がシンガポールを訪れる時には、また印象が変わっているのであろう。