2018年6月06日
[観劇報告] ミュージカル『アメリ』3
2.5次元ミュージカル・ライブシアター

学生の感想、最終回です。
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二つの『アメリ』

映画『アメリ』は以前から興味があったものの、まだ観たことがなかった。今回ミュージカル化したもの観に行くということで、前日にレンタルショップでDVDを借り、予習をして観劇に臨んだ。

ミュージカル『アメリ』の最大の特徴はやはり、映像をふんだんに使った構成だと思う。はじめは真っ白で平面的なセットに違和感を感じていたが、上演が始まるとセット全体が大きなスクリーンになっていたことがわかった。主人公のアメリは空想好きの女の子。彼女の空想をセットの全体に映し出し、真ん中で歌い踊る姿は、彼女の頭の中を覗いたようでわくわくした。舞台は観客の想像力を借りながら進行していくもので、私はそこに面白さがあると考えているため、映像を多用する構成があまり好きではない。しかし、『アメリ』の絵本のようなかわいらしい世界観には映像を使った演出が非常にあっていた。

もう一つ特徴的だったのは、映画ではあまり使われていない「言葉」を多く使っていたことだと思う。映画では印象的な表情や行動、動作が多くあったが、心情が語られることはあまりなかった。しかし、ミュージカルでは歌やセリフによって人物の心情がたくさん語られていた。特にミュージカルでは恋に悩む様子が強調して描かれていて、彼女のかわいらしさが増したと思った。

映像や言葉によって、映画ではつかみきれていなかった人物の頭の中を見ることができた気がして、観劇は非常に面白かった。しかし、その分映画の雰囲気とは違っていた印象だ。はじめはそれが悪いことにも思えたが、映画とミュージカルという大きく違う表現方法で『アメリ』を上演するなら違いが出るのは当然だ。むしろ、それぞれが特徴を活かして『アメリ』を作り上げているので、面白い。大きく違いの出た二つの『アメリ』をもう一度見比べてみたい。レンタルショップでもう一度DVDを借りなくては。(都市科学部2年 岡村 夏希)
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『アメリ』感想

ミュージカル『アメリ』は、まるで、色とりどりのビー玉がコロコロコロコロと転がり続け、最後にははじけるように輝くような、そんな舞台だったと私は感じた。その印象を作り出した大きな原因は、やはりカラフルな衣装を身にまとった、あの登場人物たち、そしてそれを演じた役者にあるのだろうと思う。

決して広くはない舞台の上で、彼らは全身を使い、歌い、踊る。大衆のうちの一人であっても、セリフのないシーンであっても、舞台の上に立っている人は大げさに動き続ける。舞台までの距離はそれほどない。なのに、そこにいる人びとはきらきらと輝きながら、明らかに客席とは異なる世界を生きていた。私は舞台を見るのはほぼはじめてに等しかったのだが、「舞台」とは、元々ある物理的なスペースだけでなく、演技をする「人」によって作り出される、もっと抽象的な空間を指しているのではないかと思った。

このように、登場人物たちや、あるいは映し出される映像などによって私の中に築かれたのは明るくきらきらとしたイメージなのだが、物語自体は正直、暗かった。というか、主人公アメリがとことん暗かった。何かに怯えて、うだうだと逃げ続けるようにしていたのだ。

実を言うと、私は序盤の方で物語を追えなくなっていた。めまぐるしく話が展開する中で、登場人物の心の動きがつかめぬまま、置いて行かれているような感覚を強く味わった。当たり前なのだが、序盤でつまずくと、最後まで見たとしても物語を完全に理解するのは難しい。「ミュージカル」は確かに楽しめたのだが、「アメリ」自体を十分に楽しむことはできなかったというのが本音で、悔しい部分である。

最後に、私がなぜか無性にドキドキワクワクした、地下鉄の表現について簡単に述べようと思う。劇中では地下鉄に乗った移動を表すとき、複数人が集まって音に合わせて体を揺らすという方法が随所で使われていた。当然舞台の上に車両を持ってくることはできないため、人間の体をいかに使うかというのは重要な点だろう。先述のように私はほとんど舞台を見たことがなかったので、このような表現は新鮮で、同時に少し興奮もした。物だけに頼るのではない、人間の表現の可能性を知ったのだ。また、この表現が使われていたのが、地下鉄という物語の舞台の転換を表す部分であったのも私の印象に強く残った原因かもしれない。物語はこの間動かないから少しリラックスできるのに、音楽を聴き、演者が体を揺らすのを見るだけで、次に何が起こるのかというわくわくは継続される。地下鉄のシーンは不思議な体験として私の中に強く印象付けられている。

『アメリ』は私の心をドキドキさせてくれた大切な作品となった。そして、もっと多くの舞台やミュージカルを実際に見て、さらに「人間」にドキドキさせてもらいたいと強く感じた。(都市科学部二年 山内香奈実)
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俯瞰で見るミュージカル『アメリ』

舞台と映画の相違点は数多くありますが、そのうち一つをあげるなら我々観客の視点でしょう。映画では我々の視点は時に登場人物に寄り添い、一体化し、また時に傍観者となり、神の視点となり、移り変わりながら断片を繋ぐように物語を追っていくものだと思います。

「アメリ」という映画はまさに断片の映画です。ヒロイン・アメリを中心としながら沢山のキャラクターの物語が進行するストーリーは、個々の物語の断章を糸として織り上げられています。またその映像美術の美しさは完成された作品としての画面の連続、美しい一つ一つのピースが集積して描かれるモザイク画のようです。その構造ゆえか、「アメリ」はまた、受け手にとっても断片的に受容された作品のように思います。

自分を引き合いに出していえば、「アメリ」と最初に出会ったのは、おそらく高校生ぐらいの時だったと思います。当時読んでいたファッション誌のカルチャー欄に取り上げられていたり、モデルさんが影響を受けた映画として挙げていたのが印象的で、しかしそれらは雑誌の画面作りのモチーフであったり、ファッションのエッセンスであったりと、まさに断片的な情報でした。それからしばらくして、2度目の「アメリ」との出会いがありました。NHKの「グレーテルのかまど」という、映画や小説に登場したり、著名な作家にゆかりのあるお菓子を作る番組で、「アメリ」のクレームブリュレが取り上げられていたのです。その番組中に紹介された「アメリ」本編の映像はわずかなカットの中にもカラフルな色彩、お洒落なパリの街並みやインテリア、ファッショナブルで愛らしい主演・オドレイ・トトゥの姿など少女を夢中にさせるに十分な魅力が詰め込まれていて、早速あのカラメルをコツコツと割るシーンの真似をすべくブリュレ作りに取り掛かったのが思い出されます。

そんな「アメリ」をようやく全編通して見たのは大学に入ってすぐくらいのことだったと思います。それから数年して今回ミュージカルを観劇したわけですが、やはり記憶に残っていたのはクレームブリュレ、アメリの赤い部屋、証明写真のアルバム、そして最後の美しいキスシーンなど、印象的なアイテムやワンシーンでした。しかし、改めてミュージカルという表現方法で見ると、この作品をより俯瞰的な視点で、大きなストーリーとして捉えながら見ることができたと思います。それは舞台という、その端から端までが視界に入り続け、その限られた空間の中で物語が展開するメディアでこそ可能になった見方でしょう。

その中で断片的に魅せる手法を排し、今回描き出されたアメリの物語は非常にシンプルかつ、昨今「こじらせ女子」「オタク女子」「コミュ障」「毒親」などと呼ばれるようなメンタリティ、生育環境、文化を持つ女性の姿をリアルに写してみせたもののように思います。そして周りの登場人物も神経症的であったり発達障害的であったり、またはわかりやすく身体に障害を負っていたりします。おそらく彼ら彼女らは現実に生きていたなら相当な「生きづらさ」を抱えているはずでしょう。しかし、それらの悲惨さを安易にクローズアップせず、誇張やユーモアも交えながら物語は幸運な偶然によりハッピーエンドに導かれます。これはブラックジョーク的な批評精神を内に含みながらも、そういった世界で生きる人への温かい眼差し、そして強い応援のメッセージを発信しているのではないでしょうか。今回舞台という形に再編された物語を読み解き、私はそう感じました。(修士課程(ポートフォリオコース)1年 山崎友里花)


須川亜紀子
須川亜紀子
Akiko Sugawa-Shimada
横浜国立大学 都市科学部/都市イノベーション研究院 教授
Professor, Department of Urban Sciences/ Institute of Urban Innovation Yokohama National University
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